久田先生と父との出会い

1950年代、大町小学校で教員をしていた羽田智千代は、
新年度を前に学校へ準備に出かけた。

その時、新しく同じ学年を受け持つ新任教師が来ると聞いていた。

児童昇降口へ行くと、一人の男性が壊れた下駄箱を一生懸命修理していた。
当時、そのような仕事は用務員(こづかいさん)が行うものだったため、
智千代は「熱心な人がいるな」と思いながら見ていた。

ところが、その人物こそ新任教師の久田淳氏だった。

誰の仕事かではなく、子どもたちが毎日使う下駄箱が壊れているなら直す。
それが大切だという久田氏の姿勢に、智千代は深く共感したという。

二人は同じ学年を受け持つことになり、
智千代が久田先生のクラスの美術を、
久田先生が智千代のクラスの体育を担当するなど、互いに協力し合った。

一方で、久田先生は保護者からの評判が必ずしも良かったわけではなかった。
野球好きが高じてプロ野球の審判を志したほどの人で、
授業でも子どもたちに野球をさせることが多かったという。
また、そのぶっきらぼうな話し方や、
一見すると尊大にも見える態度から誤解されることもあった。

しかし智千代は、久田先生の別の姿を知っていた。

下宿していた大黒町では、早朝から子どもたちと一緒に
地域の清掃活動をしていた。
また、生活に苦しむ家庭を人知れず支援することもあった。

それを隣の九日町に住んでいた智千代はちゃんとみて知っていた。

目立つことなく、子どもたちのために行動する人。
智千代はそんな久田先生に深い敬意を抱き、
やがて二人は親友となっていった。

この記事を書いた人

羽田智憲