以下は1999年、大町山岳博物館での大規模個展を前に、
山岳博物館の会報誌「山と博物館」に父・智千代が寄稿した文章の一部です。
山岳博物館のバックナンバー「山と博物館」第44巻第9号1999年9月25日
【鳥人間の誕生ーめんめ、めんめ】
わが家のイチイの生垣が、何年も手入れもされず伸び放題なのが気になっていた。
我々が散髪した後の心地よさを思いながら、生垣の刈り込みをやった。
切り落とされた太い枝を片付けようと手にとった瞬間、
“お前だって自由に思う存分伸びかかったろうに…”と、物悲しい気持ちにおそわれた。
そう思ってみると、その太枝がワナワナと身を震わして、何かを訴えているように感じる。
版木に黒墨で、この思いを直描きにし、彫りかかった時に、孫娘が二階のアトリエに入って来た。
二才ちょっとの、この孫娘は、目を輝かせて、
「おじいちゃん、うんまく、ちゅくったね。めんめ、めんめ…。」と言いながら、
やや変形して描いた作品”鎮魂歌”の切り木口の年輪を指さした。
彼女が暫く賑やかに遊んで階下に去って行った後、
一人静かにこの彫り始めたばかりの作品を、じっと見つめていた。
彼女の言った「めんめ、めんめ」は、私に重大なことを教えていることに気づいた。
“年輪の目で表せば、樹の痛みを、もっと、もっと力強く、
に表情豊かに訴えることができるんだ”とー。
ここまでが父・羽田智千代の文章の書き出しの一部です。
全文はこちらのリンクよりご覧ください。
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ここから智千代の試行錯誤が始まった。
そして2年後、鳥のような虫のような、
目の大きな鼻が長い、独特なオリジナルのキャラクターが現れた。
その記念すべき作品が第43回板画院展に出品した『これはたまらん』だった。
この「めんめ」こそが、羽田智千代の木版画世界を貫く、
命のまなざしとなっていきました。

『これはたまらん』1993年作