智千代の生涯の親友であった久田淳氏を中心に、
大町市で「一緒に絵を描く会」が発足された。
のちに「大町みずえ会」と名付けられたこの会は、
1950年代のことだった。
最初は大人たちの会だった。
しかし、
画塾のように技術指導をする場ではなく、
「一緒に楽しもう」
「のびのびと絵を描こう」
という空気の会だった。
やがて大人の会は自然に姿を消し、
子供たちの絵の会だけが残った。
一時は週に一度、
市内周辺のあちこちへ出かけ、
皆で写生をしていた。
智千代も久田氏に誘われ、
講師の一人として参加した。
しかし、
高い月謝を取るような画塾ではなく、
ほとんどボランティアに近い活動だった。
1960年代、
久田氏は美術教育を学ぶため上京した。
その後、
智千代は他の先生たちと共に会を引き継ぎ、
やがて他の先生たちも辞め、
ほぼ一人で2010年代まで、
60年以上にわたり子供たちと絵を描き続けた。
その根底にあったのは、
「子供こそ素晴らしい創造の持ち主である」
という考えだった。
大人の常識によって、
その自由な感覚を否定し、
潰してはいけない。
智千代は、
そう考え続けていた。